ベール


肩の力を抜いたら
今までのことがなんであったのか
思いだせないくらい楽になったよ。
ふわっとして、くすぐったい感じ。


どうしてそんなことにこだわって、
ただひたすら意気込んでいたのか。
今となっては、
おかしいやら、
歯がゆいやら、
つまり、なぞ。


肩にも体にも、麻痺が来るほど、
パンパンに力を入れて、
全身が硬直し、いくつかの感覚を
知らず知らずのうちに抹消してた。



かたくなに意固地になって、
五感は壊死した指先みたいになって、
覚めることなく脳の中、体の奥の
吹きだまりのような場所で眠ってた。



でも、今日。
空から乳白色のベールが落ちてきた。
ベールは私の肩にそわっとかぶさった。
もういいよ、とドコかで声がした。
もっと楽にならなければね、と声がした。



声の方に振り向くと、
そこにはいつか川原で見た
時の番人が部屋の隅に立っていて、
じっと私を見てた。


あなたががんばっても
事態は変らない。
体も脳も麻痺するほど
ガムシャラに挑んでも、
つっかえ棒のような
暴言を吐いたとしても、
衝突を起こし、混乱を招き、
あらぬ誤解を生みだして、
より複雑に、
より捩れを強くして、
本当の意味は問えなくなるんだよ。




時の番人は見据えていた。
じっと私を見据えていた。
だから私も目を離さず、
番人に聞いたんだ。


もう、いいですか?




もう、いいよ。



最後の言葉を残して番人は、
西の窓から出て行った。
ふわっと、すーっと、
あの川原に飛んでいった。



ベールも消えて、
私の体は軽くなり、
指先に温かさが戻る。
その指先で、頬をこすり、
手のひらで、顔を包み込んだ。



嗚呼 まだ大丈夫。
ここでまたゆっくり歩いていこう。
呼吸を調え、自分の鼓動に合わせ、
周りの景色を見ながら、
明日にむかい、
希望を持って生きていこう。

雨上がりの南天の


雨上がりの南天の枝を
揺さぶってみる。
枝一杯に広がる葉に付いた無数の雨が
一気に飛び散って
私の袖はビッショリだ。


それまで雨の重さでしなだれた枝は、
一気にすっくと立ち上がり、
また元の見馴れた南天になっている。


そこで私は、ほほほ、と笑う。
すっくとなって、うれしくなって、
ほほほ、と笑う。


雨の恵みで南天は艶やかだ。
夕陽が当たって、さらに生きている。




生きて行くと言うことは、
思い荷物を背負いながらも、
誰かの力を借りてすっくと立ち上がったり、
自然に乾いて、もとの姿に戻ったり、
もらった何かを吸い上げて、
自分のエネルギーに変えることなんだ。


南天はうっすら 紅葉してる。
赤い部分に私は そっとくちづけをした。

ふたたび、空へ。


壁を上るんだ。
いっちに、いっちに。
ロッククライミングなら得意なの。


手と足のバランスに気をつけて。
クロスして、空へ。
リンクして、また空へ。


安全な道を選ぶのか、
最短のスピードを選ぶのか。


安全で最短の、道はどこ?
いっちに、いっちに。


リズムを取って、
目測は誤らないで。
耳を澄ませて。


いっちに、いっちに。

散歩の途中


本当のことがいえない時に
あなたの顔をじっと見ていれば、
気持ちは伝わるのでしょうか。


夜の街をただひたすら歩いて、
言葉にするチャンスを探していたのだけれど、
どうしてもいえなかった。


遠い国の話、
時間の短さの話、
将来の夢の話、
アキ・カウリスマキの話、
オーロラの話、
人と人の繋がりの話し。
国が今しなければいけないことの話。


楽しい本をめくるように
次から次に話題は生まれるのだけれど、
どうしても話せない。
口に出来なかった言葉がありました。


今年の冬は温かい。
一人になっても、コートを脱いで歩きます。
どうしても言えないのなら、
ずっとこのまま抱き続ける方がいいのでしょう。
そっと、このまま、
胸にしまうのがいいのでしょう。

月よ 月よ 月よ月


そろそろ月を見にいきましょう。
丘の上にぽっかり浮かぶ、
まあるく蒼いお月さま。
それとも海を銀色に染める
霞の中のお月さま。


足元からせり上がる風が強ければ、
草むらに身を沈めて見上げます。
凍えながらも見上げてみます。
見つめ過ぎて首は上方45度の角度で
固まってしまうかもしれません。



それは痛恨の夜かもしれません。
深い愛情を受けたあとかもしれません。
傷ついた夜かもしれません。
誰かに悪態ついた夜かもしれません。
自分の勇気に驚いた日かもしれません。
かすむ目に老いを感じた時かもしれません。
経験不足を恥じた時かもしれません。
若過ぎると何かを封印された時かもしれません。
初めてキスをしたあとかもしれません。
発想する力が欲しい時かもしれません。
咽の奥で止まった涙を流したい時かもしれません。


誰にでも幸せは公平にあるなんて、
嘘だという事を知ってしまった夜かもしれません。



でも、今夜。
月を見上げに出かけましょう。
そこにある安心感。
幸せたっぷりです。



      すべての人に 月の光
      すべての人に 僥倖を